【未解決事件】高知県の3つの迷宮入り事件

【高知市高須本町嬰児死体遺棄事件】

 

高知市高須本町嬰児(えいじ)死体遺棄事件は、2010年(平成22年)に高知市高須本町で発生した嬰児死体遺棄事件である。

2010年3月10日午前8時55分頃、高知市高須本町の舟入川に生後間もない男児の遺体がうつ伏せで浮いているのを、野鳥のエサやりをしていた男性によって発見された。

男児は生後3日程度と見られ、身長約50cm、体重約2,500gで、着衣はなく、目立った外傷もなく、死後数日経っていると見られる。

高知県警は保護責任者遺棄致死の疑いも視野に入れ、死体遺棄事件として捜査しているが、これまで犯人に結び付くような有力な情報は得られておらず、情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

高知警察署刑事課 強行犯係

088-822-0110

 

「遺体発見現場の略図」

・美術館通り橋と高須橋のほぼ中央付近の舟入川内

高知市高須本町嬰児死体遺棄事件の遺体発見現場の略図
出典:高知県警察

 


【南国市後免町強盗致傷事件】

 

南国市後免町(ごめんちょう)強盗致傷事件は、2008年(平成20年)に高知県南国市で発生した強盗致傷事件である。

2008年7月18日午後1時10分頃、高知県南国市後免町2丁目にある片岡ブック小川書店に、刃物を持った男が押し入り、店員に刃物を突き付け、現金約15万円を奪い、徒歩で逃走した。

男は20~30歳くらいと見られ、高知県警は行方を追っているが、現在まで犯人逮捕には至っておらず、情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

南国警察署刑事課

088-863-0110 内線:330

 

「犯人の特徴と似顔絵」

・年齢:20~30歳くらい

・身長:170cmくらい

・当時の服装など:紺色のポロシャツ、黒っぽいジャージズボン、眼鏡着用、黒に近い薄い茶髪、右耳にピアス

 

(犯人の似顔絵)

南国市後免町強盗致傷事件の犯人の似顔絵
出典:高知県警察

 


【高知市小倉町コンビニ強盗事件】

 

高知市小倉町コンビニ強盗事件は、2012年(平成24年)に高知市小倉町で発生したコンビニ強盗事件である。

2012年6月19日午前3時7分頃、高知市小倉町にあるローソン高知知寄町店に、包丁を持った男が押し入り、女性店員(当時40歳)に包丁を突きつけ、現金約5万円を奪い逃走した。

男は40~50歳くらいと見られ、高知県警は防犯カメラの映像を分析するなどして、逃げた男の行方を追っているが、未だ犯人に結び付くような有力な情報は得られておらず、この事件に関する情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

高知警察署刑事第一課 強行犯係

088-822-0110

 

「犯人の特徴と映像」

・年齢:40~50歳くらい

・身長:160cmくらい

・当時の服装など:長袖の上着、灰色のズボン、黒色の手袋着用、黒色のツバ付帽子、眼鏡

 

(犯人の防犯カメラの映像)

高知市小倉町コンビニ強盗事件の犯人の画像
出典:高知県警察

 

【未解決事件】徳島県で起きた不可解な3つの事件

【徳島自衛官変死事件】

 

徳島自衛官変死事件は、1999年(平成11年)に発生した自衛官変死事件である。

1999年12月25日、広島県江田島市にある海上自衛隊第1術科学校に勤務していた海上自衛官(当時33歳)が、実家のある徳島県に帰省中に行方不明になり、2日後の27日に徳島県阿南市の河川敷で遺体で発見された。

25日、この自衛官は交際相手の女性と一緒にドライブに出掛けていた。

そしてその後、交際相手を自宅に送り届けた後に行方が分からなくなっていた。

自衛官が失踪した直後、徳島県警は路上に放置された自衛官の車を発見していたが、事件だとは思わず、自衛官の実家に連絡しただけだった。

そして、警察は橋からの飛び降り自殺と断定し、捜査は打ち切りとなってしまった。

 

しかし、遺族やマスコミの調査で不審な点が見つかり、2000年8月18日に遺族は殺人事件として県警に捜査申し入れを行った。

そして、2001年6月27日に徳島地検に告訴し、2003年2月21日に県警に告訴した。

その後、県警は2度の再捜査を行ったが、2003年11月19日に県警は自衛官が誰かに殺害された疑いがないと再度断定した。

遺族側は県警の判断に納得がいかず、2004年10月8日に徳島検察審査会に審査の申立てを行ったが、2005年4月20日に不起訴相当であると議決された。

遺族はその後も、この事件について調査し続けている。

 

「この事件の不審な点」

・自衛官の車の屋根に傷が付いていたが、警察は車をレッカー移動する際に付いた傷だとした。

しかし、その傷はレッカー移動時に付く事はまずない傷だとされている。

 

・自衛官の遺体発見現場は、自衛官が飛び降りたとされる橋から4m以上離れており、橋からジャンプして飛び降りたとしても、これだけ遠くに飛ぶ可能性は低い。

また、この橋には人が落ちないように高さ85cmの欄干が付けられており、助走を付けて飛び降りる事は不可能に近い。

更に、橋の欄干から自衛官の指紋も発見されていない。

もし彼が橋から飛び降りたのなら、手を使わず飛び越えるのが不可能に近い85cmの欄干を飛び越えた事になる。

 

・自衛官の車が停車していた位置から橋までの間に自衛官の足跡がなかった。

 

・徳島大学の司法解剖では、死因は転落前に受けた胸部大動脈の損傷によるものと考えられている。

しかし、警察の当初の発表は、自衛官が帰宅途中に事故に遭い、事故時に作動したエアバッグにより大動脈が損傷したというものだった。

だが、衝突事故現場は自衛官が帰省する方向とは逆方向で、衝突事故現場と遺体発見現場は8kmも離れている。

もし、エアバッグにより大動脈が損傷したのであれば、エアバッグが作動するほど損傷した車を、大動脈が損傷した体で遺体発見現場まで運転した事になる。

この警察の発表には多くの問題点が指摘されている。

また、遺族が依頼した医師の見解では、自衛官は背中からではなく、尻から落ちた可能性もあるようだ。

 

・警察の発表した内容では、自衛官の自殺の原因は車が壊れた腹立たしさによるものとされているが、車が壊れたくらいで自殺するだろうか。

 

・遺体の司法解剖を行う前に、県警から自衛隊側に自殺と断定されたと連絡が入っていた。

 

・自衛官が着用していたと思われる上着に、丸い圧痕があったのを遺族が発見していたが、警察が上着を鑑定した後、遺族に返却された時には圧痕は消えていた。

しかし、警察側はそのような圧痕は初めからなかったと発表している。

この件については、証拠品の取り扱いに問題がなかったか疑問視されている。

 

・現場付近では暴走族による暴力行為が度々目撃されており、事件発生当日も自衛官の車によく似た白いセダンが、鉄パイプのような棒を持った暴走族に追い回されていたのが目撃されている。

その暴走族のメンバーの1人が、徳島県警本部に勤務する人物の息子ではないかという噂もある。

 


【徳島県貞光町神隠し事件】

 

徳島県貞光町神隠し事件は、1989年(平成元年)に徳島県貞光町(現在のつるぎ町)で発生した神隠し事件である。

1989年3月7日、徳島県貞光町で当時4歳だった少年が突然姿を消した。

失踪前日の6日、少年の一家は徳島県小松島市で行われた親戚の葬儀に参列した後、貞光町にある親戚の家に泊まった。

そして、7日の午前8時頃、少年は姉と弟、父親、従兄弟の5人で散歩に出掛けたが、朝食前だった事もあり、父親は10分ほどで親戚宅に戻る事にした。

子供達は父親の後を付いて行き、親戚宅に着いたが、少年はまだ遊び足りなかったのか家の中に入らず玄関先に留まっていた。

そして、少年の弟を抱いていた父親が母親に弟を預けて玄関先に戻ってみると、少年の姿はどこにも無かった。

この間わずか40秒ほどだった。

父親は、親戚宅から10mほどの所までは少年の姿を確認していた。

 

父親はすぐさま付近を探したが、少年を発見する事は出来なかった。

その後、地元の消防団の協力も得て付近の捜索を続けたが、結局少年を発見できず、午前10時に警察に通報した。

 

警察は親戚宅が山間部にある事から、少年が山で迷子になっているのではないかと考え、山間部を中心に捜索した。

捜索には警察の他、県警機動隊や消防署員、消防団員、地元住民なども集まり、総勢100人近くが動員されたが、少年を発見する事は出来なかった。

 

この事件は父親が目を離した40秒ほどの間に、玄関先に居たはずの少年が音もなく消えた不可解な事件だったため、世間では「神隠しのようだ」という声も上がった。

しかし、不可解な出来事はこれだけでは終わらなかった。

3月16日、親戚宅で少年の捜索を続けていた家族の元に奇妙な電話が掛かってきた。

電話の相手は「ナカハラマリコの母親」を名乗り、「〇〇幼稚園の父兄です、幼稚園で見舞金を集めたので送り先を教えて欲しい。もう帰って来ますか?」と尋ねてきた。

〇〇幼稚園は、少年の姉の幼稚園だった事から少年の母親は翌日に自宅に帰る旨を伝えた。

しかし、数日経っても相手からの連絡は無かった。

不思議に思った母親が幼稚園に連絡を取ると、「ナカハラマリコ」という園児は存在しない事が判明した。

この奇妙な電話は事件の手掛かりにならず、どういう意図があったのかも分かっていない。

 

その後、少しでも少年の捜索に時間を割きたいと考えた父親は、会社を辞め自営業を始めた。

そして、事件の情報収集のため自宅の電話番号を公表したところ、全国各地から少年を見かけたという目撃情報が寄せられた。

しかし、有力な情報を得る事は出来なかった。

 

また、2018年1月31日にテレビで放送されたTBS系の「緊急!公開大捜索’18春~今夜あなたが解決する!記憶喪失・行方不明スペシャル~」に出演していた記憶喪失の男性が少年に似ているという情報が、放送終了後に徳島県警に多数寄せられ、ネット上にも同様の書き込みが相次ぐ事となった。

この反響を考慮した徳島県警は、少年の両親と連絡を取り、両親のDNAを採取する事にした。

しかし、鑑定の結果、その記憶喪失の男性と両親のDNAが一致しない事が判明した。

少年の行方は2019年の現在も分かっておらず、真相も闇に包まれたままとなっている。

 


【徳島公園女性殺害事件】

 

徳島公園女性殺害事件は、1980年(昭和55年)に徳島県徳島市で発生した殺害事件である。

1980年3月18日早朝、徳島県徳島市城ノ内にある徳島公園(現在の徳島中央公園)のお堀の水面の中央付近に、うつ伏せになって浮いている女性の遺体を、ラジオ体操の指導に来ていた会社員が発見した。

女性は20歳前後と見られ、身長160cmくらいで、ピンク色のカーディガンに花柄のスカート、黒色のストッキング、紫色のハイヒールを履いていた。

カーディガンの下にはブラウスを着用していたが、胸下辺りが破れており、ストッキングの先端部分も破れ、左太ももには約10cmの切り傷を負っていた。

遺体のあったお堀の西側にある公衆トイレにはショッピングバッグがあり、その床面とトイレの入り口、お堀への通路、お堀の橋には血痕や遺体を引きずった形跡が残されていた。

ショッピングバッグや財布などには物色した形跡はなく、遺体にもいたずらされた形跡は無かった。

ショッピングバッグの中に入っていた洋服の仕立て直しの注文書により、徳島市に住む家事手伝いをしていた女性(当時22歳)だと判明した。

 

その後の捜査で、被害女性は何者かに公衆トイレで出刃包丁で襲われた後、公衆トイレから引きずられ、お堀に投げ捨てられたと見られている。

しかし、切りつけられた形跡はあるものの、死因は溺死だった。

 

女性は17日の午後6時頃、「ちょっと買い物に行く」と家族に言い、家を出ていた。

そして、徳島駅前で衣類や本などを購入し、現場近くの喫茶店で午後7時過ぎから午後9時頃まで過ごしていた事が分かっている。

その後、徳島公園の公衆トイレで事件に巻き込まれた可能性がある。

 

その後も捜査は続いたが犯人特定には至らず、1995年3月17日、公訴時効が成立し、未解決事件となった。

 

「捜査状況」

・お堀から発見された出刃包丁には使い古した跡があった。

 

・女性が身につけていた腕時計が午後10時52分を指して止まっていた。

この腕時計は無防水で、水に浸かると20~30分で止まる時計だった事から、犯行時間は午後9時から午後10時30分頃だと見られている。

 

・女子中学生の3人組が午後11時頃、現場のトイレを利用している。

その時トイレに少量の血痕があったため、別のトイレに入り直している。

その際、被害女性や犯人は目撃していない。

 

・午後11時前、会社員の男性が男と立ち話をしている女性を目撃している。

 

【未解決事件】愛媛県の迷宮入り事件と2つの時効成立事件

【大洲市長浜町女性放火殺人事件】

 

大洲市長浜町(おおずしながはまちょう)女性放火殺人事件は、2004年4月13日に愛媛県大洲市で発生した放火殺人事件で、犯人は未だ逮捕されていない。

2004年4月13日午前1時過ぎ、大洲市長浜町の民家から出火し全焼した。

この民家の焼け跡から住んでいた会社員の女性(当時52歳)の遺体が発見された。

被害者は出火の直前に「下の階に誰かいる」と長女に電話しており、その後家から出火し全焼した。

その後の目撃情報や現場の状況から、犯人は被害者の家に侵入し、灯油を撒いた後、沖浦公園方面へ逃走している事が分かっている。

この事件は、有力情報に謝礼金を支払う捜査特別報奨金制度の対象になっていたが、後に外された。

愛媛県大洲警察署は、2019年現在も情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

大洲警察署

電話:0893-25-1111(代表)

 


【予讃線事件】

 

予讃線事件は、1949年に発生した列車転覆事件である。

1949年5月9日午前4時23分、香川県高松市の高松桟橋(さんばし)駅を出発し愛媛県の宇和島駅に向かっていた予讃線準急第一旅客列車が、愛媛県温泉郡難波村(現在は愛媛県松山市北条)の浅海駅付近にある北条町難波大浦の切通しカーブに時速55km程で差しかかったところ、機関車が転覆した。

そして列車はそのまま約40m突進し続け、右側の丘に激突した後、120度急旋回し高さ8mの崖に乗り出して停止した。

更に、炭水車と2両の客車が続いてL字型に脱線し、機関助士ら3名が胴体切断及び全身火傷で死亡し、別の機関士1名は自力で這い出し奇跡的に生還した。

 

その後の現場検証により、継ぎ目板2カ所4枚、ボルト8本、犬釘7本が故意に抜き取られ、レールも75mmずらされていた事が分かっている。

そして、現場付近にはローマ字が刻印されたバール・スパナが残されており、国鉄で使用されていた物ではない事が判明した。

犯行手口が高度な事もあり、単独犯によるものではなく、5~6人による犯行と見て捜査したが、事件の真相が判明せず未解決事件となった。

 

3ヶ月後にも松川事件と呼ばれる同様の事件が発生したが、この事件も未解決となっている。

そして、1964年5月9日に列車転覆致死罪の公訴時効が成立した。

 


【松山看護学生殺人事件】

 

松山看護学生殺人事件は、1984年7月に愛媛県松山市で発生した殺人事件である。

1984年7月15日、愛媛県松山市内のアパートに住んでいた愛媛県立公衆衛生専門学校看護婦第二科の2年生だった毛利久美代さん(当時19歳)が、自室内の布団の上で何者かにより首を絞められて死んでいるのを部屋を訪れた友人により発見された。 

毛利さんは事件発生の約3ヶ月前から同アパートで独り暮らしを始め、事件前日の7月14日の夕方に、バレーボール部のコンパに出席し、翌15日午前2時半頃に帰宅していた。

死亡推定時刻は、15日の午前3~5時頃と見られており、犯人は外付け階段からひさしを伝って無施錠の窓から侵入し、就寝中の毛利さんを殺害した後、玄関から逃走したものと思われる。

室内に荒らされた形跡はなかった。

 

毛利さんの交友関係にトラブルがない事や、部屋が荒らされていない事などから、変質者の犯行と見て捜査していた。

警察は事情を聞いた3,300人のうちから数十人に絞って捜査を続けたが、目撃情報がなく、遺留品が少ない事などから真相に辿り着けなかった。

そして、1999年7月15日に時効が成立し、未解決事件となった。

 

【未解決事件】香川県の迷宮入り事件と時効成立事件

【坂出市タケノコ掘り女児行方不明事件】

 

2005年4月、香川県坂出市の竹林で行われた、タケノコ掘り大会に参加していた当時5歳の大西有紀ちゃんが行方不明になった事件である。

このタケノコ掘り大会に参加していたのは60人で、有紀ちゃんは母親と一緒に参加していた。

午後1時過ぎ、母親がタケノコを発見し掘り始めた。有紀ちゃんは母親に、もう1本見つけてくると言い、その場を離れた。

しかし、これが母親が有紀ちゃんと交わした最後の言葉となってしまった。

タケノコを掘り終えた母親は、有紀ちゃんの名前を呼んだが返事がなかった。辺りを捜してみるも、有紀ちゃんはどこにも見当たらなかった。

タケノコ掘り大会に参加していた他の人たちも必死で有紀ちゃんを捜したが、どこにもいなかった。

そして母親は警察に通報し、警察による警察犬を投入した捜査が始まった。

延べ3,000人の捜査員が捜査にあたったが、手掛かりは一切見当たらなかった。

誘拐が濃厚ではないかとされているが、現場は山岳部なので自転車などによる連れ去りは不可能だった。

その後も有紀ちゃんが持っていた水筒の匂いを頼りに、警察犬による捜査が行われたが、ある場所で警察犬が止まり、そこから動かなかった。

その警察犬が止まった場所で有紀ちゃんの匂いが途切れているということを意味していた。

そこで臭いが途切れているということは、有紀ちゃんが空中に浮いたことになる。これはどういう事なのか?やはり誰かに連れ去られたのか?

有紀ちゃんが母親の元を離れてから、有紀ちゃんを目撃していた人物が2人いた。

1人は女子中学生で、有紀ちゃんと会話もしている。

もう1人は大人の男性で、有紀ちゃんが遊歩道を左から右に歩いていったのを目撃している。

近くにキャンプ場があったが、そこでの目撃情報もなかった。

この事件はテレビ番組で何度か取り上げられており、透視による捜査なども行われたが、未だ手掛かりは一切ない。

有紀ちゃんは、どこに行ってしまったのか。まるで神隠しにでもあったような事件である。

 


【まんのう町女子高生殺人事件】

 

1997年3月、県立観音寺第一高校の1年生だった真鍋和加さん(当時16歳)が遺体で見つかった事件である。

真鍋さんは、3月15日の夜にバイト先だった旧詫間町(現三豊市)駅前にあったコンビニを出てから行方が分からなくなり、翌日の16日に旧琴南町(現まんのう町)の山中で遺体となって発見された。

15日はバイト最後の日だった。いつもはバイト先まで自転車で通っていたが、この日は小雨が降っていたため、お姉さんが車で送っていた。

バイトが終わった夜22時過ぎに小雨の中、傘もささずに歩道に立っている真鍋さんの姿を同僚が見かけたのが、最後の目撃情報となっている。

遺体発見時、上半身は長袖の白いTシャツで、下半身は左足だけ靴下を履いている状態だった。

死因は柔らかいヒモ状の物で首を絞められたことによる窒息死だった。 死亡推定時刻は15日の深夜。

その後、旧詫間町(現三豊市)に近接した旧高瀬町(現三豊市)の朝日山森林公園の植え込みから左足の靴が出てきたが、遺体発見現場からはかなり離れており、土地勘のある犯人が捜査のかく乱を狙ったのではないかとも考えられる。

真鍋さんの遺族は、遺体発見現場には野犬が多く生息しているので、犯人が野犬に証拠隠滅させるために、わざとその場所に死体を遺棄したのではないかと考えている。

また、15日が真鍋さんのバイト最後の日だったことを知っていた人物による犯行ではないかと推測する人もいる。

捜査本部によると、これまでに延べ約5万6千人の捜査員を投入し、真鍋さんの交友関係を中心に延べ約3万3千人に聞き込みを行っている。

2017年11月10日、香川県警捜査1課は、真鍋さんの左足の靴が見つかった旧高瀬町(現三豊市)の公園付近で、不審車両が目撃されていたことを明らかにしている。

事件当日に真鍋さんが着ていたTシャツの画像も公開している。

 

「真鍋さんが着ていたTシャツ」

真鍋和加さんが着ていたTシャツ
出典:産経WEST

 

県警捜査1課によると、目撃された車両は丸みを帯びた白っぽい車で、トヨタ自動車のワゴン車のエスティマの3タイプと見て捜査を進めていたが、有力な情報は得られていない。

香川県警は、県内の未解決事件のチラシを配布し、情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

琴平警察署

電話:0877-75-0110

三豊警察署

電話:0875-72-0110

 


【東かがわ市元幼稚園園長女性殺人事件】

 

東かがわ市元幼稚園園長女性殺人事件は、2005年(平成17年)に香川県東かがわ市で発生した殺人事件である。

2005年3月29日午後7時40分頃、香川県東かがわ市三本松で1人暮らしをしていた元幼稚園園長の鯛谷明子さん(当時71歳)が、自宅で死亡しているのが発見された。

発見したのは鯛谷さんを訪ねてきた近所の住民で、台所で首から血を流して死亡している鯛谷さんを見つけ、119番通報した。

鯛谷さんは何者かに首や胸を刺され、首には10cmほどの切り傷があった。

1階の居間には大量の血痕があり、台所は居間の隣にあった。

殺害されたのは3月25日頃と見られており、香川県警はこれまで延べ1万7,000人の捜査員を投入し捜査してきたが、未だ犯人に結び付くような有力な情報は得られていない。

香川県警は、この事件に最大100万円の懸賞金をかけ、情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

東かがわ警察署

電話:0879-25-0110

 


【坂出市加茂町女性社長殺人事件】

 

坂出市加茂町女性社長殺人事件は、1997年(平成9年)に香川県坂出市で発生した殺人事件である。

1997年12月25日から26日にかけて、香川県坂出市加茂町の有限会社旭自動車整備工場事務所で、この会社の社長をしていた松下菊江さん(当時65歳)が何者かに殺害された。

26日午前10時10分頃に従業員が出勤した際、自動車整備工場2階の住居で、頭から血を流して倒れている松下さんを発見した。

松下さんは1人暮らしで、頭には殴られてできた数ヶ所の傷があった。

松下さんはその後、病院に搬送されたが、翌年1月2日、脳挫傷などが原因で死亡した。

香川県警は坂出署に捜査本部を設置し、殺人事件として捜査してきたが、これまで犯人に結び付くような有力な情報は得られていない。

香川県警は、この事件に最大100万円の懸賞金をかけて、情報提供を呼び掛けている。

懸賞金をかけて広く情報提供を呼び掛けるのは、この事件が県内で初となる。

松下さんの長男の昌弘さんは、「犯人が捕まって、なぜそんなことをしたのかが早く明らかになってほしい」と訴えている。

<連絡先>

坂出警察署

電話:0877-46-0110

 


【小豆島死亡ひき逃げ事件】

 

小豆島死亡ひき逃げ事件は、2009年(平成21年)に香川県小豆郡で発生した死亡ひき逃げ事件である。

2009年12月25日午後7時過ぎ、香川県小豆郡小豆島土庄町淵崎の県道で、近くの病院からバス停に向かって道路を横断していた小豆島町在住の八木美月さん(当時81歳)が、軽トラックにはねられ死亡した。

八木さんをはねた軽トラックは、止まらずそのまま走り去った。

小豆署は、逃げた軽トラックが平成11~19年にかけて製造された白いダイハツ「ハイゼット」と特定し、島内で当時登録されていた同型の軽トラック約400台を調べたが、車体にある傷などの状況から、事故を起こしたと断定できる車を見つける事ができなかった。

これまで延べ1万4,000人の捜査員を投入し、過失運転致死の疑いで犯人の行方を追ってきたが、未だ犯人に結び付くような有力な情報は得られていない。

過失運転致死の時効は10年と定められており、2019年のクリスマスに時効が成立してしまう。

小豆署の谷田和久署長は、「死亡ひき逃げの犯人を許すことはできない。ささいなことでもいいので、気になることがあれば警察に情報を寄せてほしい。」と情報提供を呼び掛けている。

 

2019年12月25日、時効が成立し、未解決事件となった。

 

「小豆署が作成したチラシ」

小豆島死亡ひき逃げ事件のチラシ
出典:小豆警察署

 


【坂出送電塔倒壊事件】

1998年2月20日、香川県坂出市(さかいでし)坂出町の聖通寺(しょうつうじ)山北側斜面の四国電力讃岐坂出線の、高さ73mもある14号鉄塔が突然根元から折れ倒壊した事件である。

ケガ人は出なかったが、周辺世帯の約1万7,000戸が停電、番の州(ばんのす)臨海工業団地にある事業所などが操業停止になった他、信号機も60基ほど停止、高松市などで約9,000戸のガス供給も停止した。

そして、この倒壊した鉄塔から伸びる送電線の真下には瀬戸中央自動車道があり、垂れ下がった電線が道路上にかかってしまっていたため、児島I.C.~坂出I.C.間が約5時間半にわたって全面通行止めとなった。

顧客から四国電力に対しての賠償請求などはなかったが、四国電力が復旧作業に要した被害総額は約19億円にもなった。

事件当初、香川県警は、落雷などの自然災害によるものだと見ていた。しかし、倒壊した原因は自然災害ではなく、鉄塔の台座部分を固定していたボルト80本のうちの76本が、何者かによって抜き取られていた事によるものだと判明、そして抜き取られたボルトが付近の斜面に捨てられていたことから、人為的によるものだと断定した。

鉄塔がすぐ倒壊しないように数本のボルトを抜き取らず残していたことなどから、鉄塔の構造に詳しい人物による犯行ではないかと見られた。

動機については、四国電力に対する恨みだと見られた。

香川県警の特別捜査本部は実況見分から、複数の工具を使用した複数犯による犯行の可能性が高いと見て捜査していたが、目撃証言や物証に乏しく捜査は難航した。当初、自然災害によるものだと見ていたことで初動捜査が遅れたことも影響していた。

そして、犯人逮捕に至ることなく、2003年2月20日に公訴時効を迎え、前日をもって特別捜査本部は解散となった。