都市伝説 広島県編

【広島太郎】

 

広島県広島市の繁華街に頻繁に現れる「広島太郎」と呼ばれる伝説のホームレス男性がいる。

その男性は数十年間に渡り、汚れた服と奇抜なマントに、たくさんのぬいぐるみを身に付け、路上生活をしているとされている。

彼は1970年に広島大学政経学部経済学科を卒業した後、東洋工業(現在のマツダ)に入社し設計業務を行っていたが、何らかの理由で退職し、それ以降ずっと路上生活をしていたようだ。

奇妙な出で立ちや広島の中心街を棲息地にしている事などから、広島のローカル有名人として認知度が高い。

広島では、3人に2人が「広島太郎」の事を知っているらしい。

家財道具一式を大きな押し車に乗せており、夜になると広島市内の洋裁材料店の前にいた。

また、広島本通商店街で目撃された事から、かつては「本通太郎」と呼ばれていたようだ。

 

これは本当かどうか分からないが、現在は2代目になっているらしく、初代は広島に原爆が投下(1945年(昭和20年)8月6日に投下された)される前から目撃されていたようだ。

つまり、「広島太郎」という人物は1人だけでなく、その時々に複数存在していたと思われる。

また、「広島太郎」については、次のような諸説があるようだ。

 

「広島太郎都市伝説」

・広島太郎を見たら幸せになれる。

・地元では、ちょっとしたご当地キャラというより、神様的な存在になっている。

・とても頭が良く、難しい漢字もすらすら書ける。

・ある人が「あんた広大出とるんね」と尋ねたところ、本当は広島商科大学卒と答えたそうで、吉田拓郎さんと同期ではないかと言われている。

・サインを頼んだら500円取られた。

・広島のタウン情報誌「ぴーぷる」に出た事がある。

・競馬の予想やスタンド・バーの紹介を収入源にしている。

・地域の祭りでカラオケを歌う。

・スーパーの従業員が、試食コーナーにいる広島太郎だけは追い払ってはいけないと店長に言われた。

・なぜか不良に絡まれない。

・哲学的な言葉を書いたダンボールの切れ端を売っている。

・写真を撮ると千円取られる。

 

「広島太郎はメディアに出ていた」

・2010年5月22日~7月19日まで広島市現代美術館で行われた、都築響一さんの「HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」という個展のメインビジュアルに広島太郎が抜擢されていた。

広島太郎の画像
出典:広島市現代美術館

 

・2013年にNHKのドキュメント72時間で「広島太郎を探して」が放送されている。

最後まで本人を見つける事はできなかったが、広島県民の中には、

「広島太郎が美化され過ぎ」

「広島太郎をきれいな伝説にしようとする番組は不快」

「広島太郎を美化し過ぎの特集だった」

などと、番組を不快に思った人が多くいたようだ。

「広島太郎を探して」は、2017年10月13日にも再放送されている。

 

飲み歩いているサラリーマンや夜の仕事をしている女性は、彼を見かけると100~500円をあげるそうだが、金には困っていないらしい。

仕事を辞めた理由は、職場で失恋したからだそうだ。

初代の広島太郎は数年前に死亡したと言われているが、定かではない。

 

 


【広島県民はものすごいスピードで鶴が折れる?】

 

「広島県民はものすごいスピードで鶴が折れる」という説は本当のようだ。

広島県民は、小学校・中学校時代、夏になると学校で鶴を折り、「式典用に100羽折ってきなさい。」と先生に言われ、家族総出で鶴を折りまくる事もあるようだ。

毎年7月に入ると、平和祈念学習の時間が増えるのも、世界で初めて原爆が投下された事で、今も生活の中に8月6日という日が強く意識されているからだ。

8月6日は夏休み中だが、その日は登校日だったという学校も、昔は多かったようだ。

また、式典で歌われる合唱曲「HEIWAの鐘」も、広島県民は全員歌う事ができる。

「さとうきび畑」という曲が大ヒットして一番驚いたのも、沖縄県民ではなく、子供の頃から歌い続けてきた広島県民だった。

 

 


【広島県民に「広島風お好み焼き」って言うと怒られる?】

 

広島県の人は、お好み焼き無しでは生きていけないと言っていいほど、お好み焼きを好んで食べるようだ。

元々、粉物が好きなようで、うどんやラーメンも日常的によく食べているようだ。

昼食にお好み焼きを食べるというのも当たり前のようで、昼休みに近くの店に行ったり、テイクアウトしたり、出前を取ったりしているようだ。

多くの広島県民は、自分のなじみの店を持っており、仲間とワイワイやる時や家族でゆっくり過ごす時、1人でサッと食べる時など、その時の状況に応じて店を使い分ける人も多い。

そんな広島県民は、自分たちがいつも食べているお好み焼きこそ元祖で正統派なものだと信じており、決して大阪を中心とした「関西風お好み焼き」を真似した訳ではない。

それ故に、自分たちのお好み焼きの事を「広島風お好み焼き」と言われると、「関西風お好み焼き」を真似したと言われているようで、ムッとくるようだ。

実際、広島風のお好み焼きは、クレープ状に焼いた生地の上にキャベツや焼きそばなどの具材を乗せて焼くが、関西風のお好み焼きは、小麦粉をといた生地にキャベツなどの具材を混ぜ合わせて焼くため、同じお好み焼きでも形状にはかなり違いがある。

更に、広島風は千切りにしたキャベツを焼いた生地に乗せ、その上から更に生地を回しかけてからひっくり返して焼くため、生地に包まれたキャベツは自身から出る水分で蒸し焼きになり、広島風ならではの甘い味わいになるのに対し、関西風は粗いみじん切りにしたキャベツを生地と混ぜ合わせて焼くため、キャベツが水っぽくならずシャキシャキとした歯ごたえになる。

どちらもメインの具材には小麦粉とキャベツを使用し、鉄板で焼くという調理法も同じなのにかなりの違いがある。

人によっては、「こっちが元祖だ」と譲らない人もいるほどだ。

それほど大切にしている食べ物という事なのだろう。

「広島風お好み焼き」という看板を掲げた店もあるが、それは県外から来る観光客が集まる場所に多いだけで、それ以外の所はそうではないようだ。

 

「お好み焼きのルーツ」

明治時代末期から大正時代にかけて、東京の駄菓子屋で子供たちから人気だった「もんじゃ焼き」から派生した「どんどん焼き」が、お好み焼きのルーツになったという説が有力らしい。

移動式の屋台で売られるテイクアウト式のもので、ドンドンと太鼓を鳴らしながら売り歩いていた事から、「どんどん焼き」という名前が付けられたそうだ。

「どんどん焼き」は「もんじゃ焼き」より生地を固くし、ソースで味付けされており、基本的には広島風の重ね焼きだった。

これが関西に伝わり、ソースに洋風のイメージがあった事から、「一銭洋食」という料理に変化し流行した。

これがお好み焼きの原型だとされている。

これにキャベツなどが入り、焼きやすい混ぜ焼きにし発展したのが、関西風お好み焼きだ。

そして、「一銭洋食」の形状のままの物に、焼きそばを入れるなどして独自に発展したのが、広島風お好み焼きだ。

 


【比婆山には怪物がいる?】

 

1970年(昭和45年)頃、広島県庄原市西城町にある比婆山(ひばやま)の麓(ふもと)で、類人猿のような怪物の目撃が相次いだ。

その怪物は、比婆山にちなんで「ヒバゴン」と名付けられた。

下の画像は、目撃情報をもとに作られた「ヒバゴン」像だ。

ヒバゴン像の画像
出典:やりすぎ都市伝説

 

目撃件数は100件を超え、普段嘘をつかないような人までもが「怪物を見た」と言った事で、周りの人たちも信じるようになった。

目撃情報によると、身長は150cmくらいで顔の形が逆三角形、ゴリラに似た体つきをしていたようだ。

マスコミでも騒がれ、確保は時間の問題かと思われたが、結局捕まえる事はできず騒動は収束した。

 

1,300年以上の歴史を持つ比婆山熊野神社に伝わる巻物にも、「ヒバゴン」によく似た怪物が描かれていた。

比婆山熊野神社に伝わる巻物に描かれた「ヒバゴン」によく似た怪物の画像
出典:やりすぎ都市伝説

 

この巻物はいつ書かれたものかは分かっていないが、人の姿が描かれた横に一つだけ謎の生物の絵が描かれており、目撃された「ヒバゴン」の姿によく似ている。

また、山の中には「ヒバゴン」が住んでいたのではないかと言われる穴も存在している。

ヒバゴンの住み家らしき穴の画像
出典:やりすぎ都市伝説

 

騒動から数年後、「ヒバゴン」の目撃情報は途絶えたが、西城町では様々な「ヒバゴン」のキャラクターや名を冠した多くの産物が作られ、「ヒバゴン」を題材にした映画も制作された。

「ヒバゴン」は、現在も比婆山に生息しているのだろうか。

 

「報告されているヒバゴンの特徴」

・類人猿型で二足歩行が可能。

・体中が黒色もしくは濃い茶色の毛で覆われている。

・尻の左半分の毛が白がかっていて、尻の毛の無い部分には猿のようなタコが無い。

・ゴリラのような体つき。

・顔は逆三角形型。

・身長は150cmくらいと小柄で、ずんぐりむっくり。

・推定体重は約85kg。

・足のサイズは27cmくらい。

・歩く際に、鳴き声と思われる音を発する事がある。

・目撃された個体は単一で、片足を引きずっていた。