【都市伝説】福岡県にはなぜ美人が多いのか?

【福岡県は美人が多い?】

 

福岡県は美人が多いという話をよく聞くが本当なのだろうか。

福岡出身の有名人を調べてみると、篠田麻里子さんや家入レオさん、吉瀬美智子さん、黒木瞳さん、酒井法子さん、椎名林檎さん、生野陽子さん、田中麗奈さん、橋本環奈さん、浜崎あゆみさん、松田聖子さん、水野美紀さんなど、美人が多い事が分かった。

2015年5月に公開された「美人が多いと思う都道府県は?」というアンケートでも、福岡県が1位(得票率17.5%)になっており、世間の人も福岡県は美人が多いと思っているようだ。

ではなぜ、福岡県には美人が多いのだろうか。

 

「福岡県に美人が多い理由」

理由1:若い独身女性が多い

福岡県の男女比率を調べてみると、2016年(平成28年)9月1日時点で、

・男性 ⇨ 約241万人

・女性 ⇨ 約269万人

 

となっており、男性より女性の方が30万人近く多い事が分かった。

もし、この全員がカップルになったとしても、30万人近くの女性があふれてしまう事になる。

という事は、男性は相手を見つけやすく、女性は相手を見つけにくいという事になる。

そうなれば女性は相手を見つけるために、キレイにならなければと美容にお金をかけ努力するようになる。

これが美人が多い一つの理由ではないだろうか。

 

理由2:混血が多い

外国の研究では、混血ほど個性的な顔立ちになり、肌もキレイになる事が分かっているようだ。

黒人と白人は、肌の厚さや角質の厚さなどの差が大きいそうだが、遺伝的に離れているほどこれらの差がなくなり、キレイになるようだ。

ウクライナのコサック人は、最も多くのスーパーモデルを世に送り出しており、世界で最も美人の国と言われているが、ヨーロッパ・中東・アジアの血が混ざった混血の人達だ。

これが混血ほど美人が多い事を証明している事にはならないだろうか。

福岡も古くから、大陸と朝鮮半島の窓口として渡来人の交流が盛んだった事で、混血が進みやすかったと言われている。

また、近代化が進み、他国との交流が増え様々な血が混ざる事で、混血に生じやすいエキゾチックな顔立ちの美人が増えたとも言われている。

更に、結婚や就職を機に福岡に移住する九州の人も多く、九州各県の血が福岡に多く流れている事も美人が多い理由の一つのようだ。

 

理由3:食文化

福岡に美人が多い理由に食文化が挙げられる。

「地元民も通う福岡ご当地グルメランキング」には、ラーメンや明太子、もつ鍋、水炊きなどが上位にランクしている。

 

・ラーメン

豚骨ラーメンのスープには、カリウム・コラーゲン・アミノ酸・軟骨成分などの体に良い栄養素が豊富に含まれており、アミノ酸の働きにより腸内環境が改善され、免疫力もアップすると言われている。

また、骨密度の増加や関節炎の改善、肌質、髪質などの改善にも期待でき、最近では美容フードとしても人気が高まっている。

 

・明太子

明太子に含まれるタンパク質・ナイアシン・亜鉛には美肌効果があり、ビタミンE・ビタミンB12にはアンチエイジング効果が期待できる。

また、辛子明太子の唐辛子に含まれるカプサイシン・ビタミンCにはダイエット効果が期待できる。

更に、不飽和脂肪酸にはホルモンバランスなどの改善効果により、生理痛改善にも期待できる。

 

・もつ鍋

もつは、牛肉の中で最もカロリーが低いと言われている部位で、コラーゲンや必須アミノ酸などの美肌効果のある成分が豊富に含まれている。

また、キャベツやニンニク、ニラなどの野菜には、ミネラル・ビタミン・カリウムなどの成分が豊富に含まれており、良質な脂も一緒に摂取するため腸内環境の改善やむくみ解消、美肌効果にも期待できる。

更に、唐辛子には脂肪の分解、ビタミン摂取、新陳代謝向上などの効果もある。

 

・水炊き

水炊きのスープには、コラーゲンが凝縮されている。

特に、鶏の骨から出たコラーゲンはとても良質で、とても高い美肌効果がある。

肌の保湿力を高める事でみずみずしさを保ち、シミやそばかすの抑制効果に期待できる。

 

 

都市伝説 沖縄県編

【真玉橋の人柱】

 

沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川(こくばがわ)には、真玉橋(まだんばし)という橋が架かっている。

この橋が初めて架橋されたのは、琉球王国第二尚氏時代の1522年の事で、第三代尚真王によって築かれた。

しかし、昔は木造だったため、大雨や洪水の被害に遭い、橋が何度も崩壊していた。

そのため、1707年に石の橋に造り替えようとしたが、大雨で工事ははかどらなかった。

そんな時、「子年生まれで、七色の元結をした女性を人柱として建てよ」と、神からお告げがあったと言う1人の神女(ユタ)が現れた。

役人たちは子年生まれの女性を探したが、なかなか見つからなかった。

しかし、役人が神女の家を訪ねた時、神女の元結が七色に輝いていた。

神女は、神からのお告げの通りに、自分が人柱として生贄になった。

そして、大勢の人達が見守る中、神女は自分の娘に「人より先に口を利いてはいけない」と叫んだ。

その言葉を聞いた娘は、それ以来誰とも口を利かなくなってしまったが、増水などで橋が崩壊する事もなくなったという。

それ以降、村人たちは、「物ゆみ者や 馬ぬ さちとゆん(おしゃべり者は馬の先を歩いて災いをまねく)」と戒めあったそうだ。

 

この話には、他にも言い伝えがある。

 

「他の言い伝え」

昔、日照りが続いた事で、真玉橋に生贄を捧げようという事になった。

そして、矢を放ち、その矢が刺さった家の娘を生贄にしようとした。

しかし、矢が刺さったのはこれを言い出した人の家だったため、その家の娘が生贄にされ、橋の下に埋められてしまったという。

 

 


【天女の羽衣】

 

昔、今の宜野湾市に嫁のきてもないほど貧乏な奥間という若者がいた。

ある日、畑仕事を終えた奥間は、手足を洗おうと「森の川」というキレイな泉に立ち寄ったところ、水浴びをしている1人の美女を見つけた。

奥間が物陰から様子を伺っていると、木の枝に女の衣が掛かっているのを見つけた。

奥間は素早く衣を草むらに隠し、水浴びをしている女の前に姿を現した。

驚いた女は急いで衣を取ろうとしたが、あるハズの衣がなかった。

女は「私は天女(てんにょ)です。羽衣がなければ天に昇れない。」と泣き崩れた。

奥間は女の身の上話などを聞き、女に「それは、お困りだろう。私が探してあげるからそれまで私の家で休まれるがよい。」と言うと、女は奥間の家に世話になる事にした。

そして、奥間は女の羽衣を倉の奥深くに隠した。

 

それから10年が経ち、2人の間に一男一女が生まれた。

それから更に何年か経ち、女の子が偶然羽衣を見つけ、弟と遊びながら「母の飛び衣は6つの柱の倉にあり、舞衣は8つの柱の倉にある。」と歌った。

それを聞いた母親は大いに喜び、夫の留守中に羽衣を取り出して身に付けた。

そして、たちまち天高く舞い上がった。

しかし、愛しい夫や2人の子供の泣き声を聞くと、急には去りにくかったため、しばらく空の上をグルグルと飛び回っていたが、ついに風に乗って大空の彼方に飛び去ってしまった。

 

男の子が漁の好きな若者となったある日、勝連按司の娘が婿選びをしていると聞いた若者は勝連に行き、「娘さんをください。」と頼んだが、それを聞いた按司とその家来は大笑いし、若者を追い返そうとした。

しかし、物陰からそれを見ていた娘は「この人はただ者ではありません。私の夫にふさわしい人です、結婚させてください。」と頼んだ。

日頃から娘を信頼していた按司は、2人の結婚を許した。

そして、2人は大謝名にある若者の家に向かったが、その家の垣根は崩れ、雨漏りもしていた。

しかし、汚れた竈(かまど)をよく見ると、黄金で作られていた。

不思議に思った娘が尋ねると、それが畑にたくさん転がっている事が分かり、2人は黄金を拾って貯蔵した。

そして、その地に楼閣(ろうかく)を造り金宮と名付けた。

 

当時、牧港(まきみなと)には大和の船も出入りしていたので、若者は鉄を買い入れ、その鉄を農民に与え農具を作らせた。

人々は、この若者を父母のように慕うようになり、若者は人々の信望を集め、浦添の按司となり、中山王察度(ちゅうざんおうさっと)となった。

 

 


【耳切り坊主】

 

沖縄には「耳切り坊主(みみちりぼうず)」という子守歌があるが、この歌は実は怖い話だという事をご存知だろうか。

<歌詞>

大村御殿の 角なかい 耳切坊主が 立っちょんど。

幾体、いくたい 立っちょが~ヤ みっちゃい(三体)、よったい(四体)立っちょんど

泣いちょる 童 耳ぐすぐす ヘイヨ~ヘイヨ~ 泣~くなよ

 

意味

村長の居る屋敷、大村御殿の角々に、耳切り坊主の幽霊がいくつ立っているのでしょう?

三人も四人も立っているよ。

泣く子の耳は、グス、グスッと音を立てて切られるよ。

ハイヨ、ハイヨ 泣くなよ

 

「坊主の話」

この歌に出てくる坊主は、黒金座主(クルガニザーシー)という名前が付くほど皮膚が黒かった。

とても優秀な坊主だったが、女を騙すのが大好きで、寺に入って行く女は見かけたが、女が寺から出てくるのを見た者はいなかった。

この事を知った王様は、「こんなしたたかな男を生かしておくわけにゆかない。」と思った。

そして、この坊主に対抗できるのは琉球国では北谷王子しかいないと思い、王子を呼んで「黒金座主と碁をしなさい。命を賭けよ」と命じ、坊主と王子は負けた方が命を取られる大変な賭けをする事になった。

ところが、2人とも勝負に自信があり、坊主は腕をさすりながら出てきた。

時間が経つにつれ、坊主が危なくなってきたので、坊主は王子に得意の妖術を掛けようとしたが、王子には全く掛からなかった。

そして、ついに坊主は負けてしまい、王子は坊主に「そちらの命を取ろうとは思わぬ。その代わり、耳を一つ貰おう。」と言い、坊主は耳を切られてしまった。

その後、坊主は切られた耳の傷口が原因で破傷風(はしょうふう)に掛かり、死んでしまった。

ところが、坊主は幽霊となって人の耳を切ろうと出没し始めた。

しかし、なぜか坊主は女の子の耳には興味がなく、男の子の耳だけを狙った。

男の子が生まれたら大変なので、難を逃れるために次のように唄った。

♪ ウフーイナグの 生まれたんどオ ウフーイナグの 生まれたんどオ

(意味:大きな女の子が生まれたよ)

 

この話は18世紀に本当に起きた出来事だそうだ。

今でも男の子が生まれたら、黒金座主が耳を切りにやって来るかもしれない。

 

 


【沖縄病】

 

沖縄病とは、沖縄諸島全域で特に見られる病気の事で、感染経路は多岐に渡る。

多くの場合、観光客として沖縄を来訪後、潜伏期間を経て発症する。

致死率が高く、その危険性はペストに並ぶとも言われている。

感染から2~3日で全身の気だるさ、時間感覚の麻痺、仕事拒否などの症状が現れる。

「沖縄って良いよね~」と視線が空中を漂い、”沖縄ってさー”と何回も言い、周りの人に嫌われる事も多い。

代表的な初期症状としては、時間や物事に対する執着心の低下、アルコール(主にオリオンビール)への依存度上昇が顕著である。

沖縄県以外の人の場合は、沖縄の地にかなり強い憧れを持つといった症状が起こる事もあり、主な症状としては次のようなものが挙げられる。

・寝ても覚めても沖縄の事を考えるようになる

・沖縄料理が食べたくなる

・沖縄の音楽が聴きたくなる

・沖縄の海が見たくなる

・沖縄の風に吹かれたくなる

・沖縄の太陽を仰ぎたくなる

・沖縄の人に会いたくなる

・沖縄の歴史を学びたくなる

・沖縄の文化に浸りたくなる

 

そして、肌が次第に黒くなり、全身が毛に覆われ、最終的に約1~100年後に死に至る。

 

「主な感染経路」

・食べ物:サーターアンダーギーとチャンプルー辺りが最も多いと言われており、泡盛という指摘もある。

・音楽:感染の直接の原因ではないが、沖縄病を悪化させるのではないかという疑いがあるようだ。

 

「沖縄病対策」

沖縄病を予防するため2006年1月に法律が施行され、沖縄旅行の制限、沖縄を連想させるありとあらゆる作品の発表禁止、沖縄旅行経験者の一時的な隔離、国内での琉神マブヤーの放送及び視聴禁止(研究目的を除く)などの政府の対策が行われたが、感染者の拡大を防ぐ事はできず、新たな対策が求められている。

沖縄病に特効薬はなく、感染者の約8割が死に至る。

しかし、沖縄病に掛かろうとする人は後を絶たないという。

これは、沖縄病に感染し生き延びた者は、沖縄で生まれ育った人間でなくとも、ウチナンチュとして沖縄での居住許可が出るからである。

 


【片足ピンザ】

 

宮古島には「片足ピンザ」というヤギの妖怪がいるという噂がある。

ピンザとは、宮古でヤギの事を表しているそうだ。

鳴きながらもの凄い速さで追いかけてきて、「片足ピンザ」に頭上を越えられると魂を抜かれ、死に至るという。

この「片足ピンザ」には、次のような伝承がある。

・食用のヤギが足を切られた際、脱走してそこから化け物となり、人を襲うようになった。

・小さい頃から飛び跳ねていたヤギが足を折り、それ以来、人の頭上を越えるようになった。

 

「片足ピンザの昔話」

昔、数人の小学生が夜中に親に内緒で遊んでいると、後ろで何かがメェーメェーと鳴くのが聞こえ、振り向くと片足の無いヤギがもの凄い速さで向かってきていた。

そして、1人を残し、他全員の魂が抜かれてしまった。

 

現在、「片足ピンザ」は、いきなり後ろから抱きついたり、車道に飛び出してきたりなどのいたずらをするヤギの事を指しているようだが、子供が夜遊びしないように魂を抜かれる話をする人もいるようだ。

 

【犬鳴村伝説】福岡県に法治が及ばない恐ろしい集落がある?

【犬鳴村伝説】

 

犬鳴村(いぬなきむら)は、福岡県の犬鳴峠の近くに存在していると言われている村で、法治が及ばない恐ろしい集落だという噂がある。

そして、その村に立ち入った者は生きて帰る事はできないという都市伝説があり、次のような多くの説がある。

 

「犬鳴村の諸説」

・日本の行政記録や地図から抹消されている。

 

・旧犬鳴トンネル前に「白のセダンは迂回してください」と書かれた看板がある。

 

・村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」と書かれた看板がある。

 

・江戸時代より前から激しい差別を受けてきたため、村人は外部の人間との交流を一切拒み、自給自足の生活をしており、近親交配が続いている。

 

・村の入り口から少し入った所に広場があり、その広場にはボロボロのセダンが置いてある。

そして、その広場の先にある小屋には人骨が山積みにされている。

 

・旧道の犬鳴トンネルに柵があり、その柵を乗り越えた所に紐と缶を使用した罠が仕掛けられている。

そして、その罠に掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が来るらしいが、村人は異常に足が速い。

 

・全ての携帯電話が圏外で使用不能になる。

 

・近くにあるコンビニエンスストアの公衆電話は、警察に繋がらないようになっている。

 

・若いカップルが面白半分で村に立ち入り、惨殺された。

 

このようにいろいろな説があるが、これらの説は全て嘘のようだ。

 

「犬鳴村伝説は嘘?」

犬鳴は江戸時代中期の1691年(元禄4年)より以前に、福岡藩庁が城下・地行町に住んでいた御譜代組足軽(ごふだいぐみあしがる)に移住を命じてできた村で、激しい差別を受けていた等の事実はない。

江戸時代中後期にかけて犬鳴にあった足軽墓地群の改葬時(昭和40年頃)に、多くの寛永通宝や宝永通宝、天保通宝、文久永宝などの銅銭、糟屋郡須恵で製作された須恵焼の皿、茶碗や徳利、刀の残骸、鍔(つば)などが出土したそうだ。

また、墓地群にあったほとんどの墓石に刻まれていた戒名は、軒号(けんごう)と庵号(あんごう)だったという。

軒号・庵号は院号ほどではないが、寺院や宗派に貢献した者や、公益が厚い者に贈られる号の事だ。

 

犬鳴を含めた吉川庄(旧若宮町の西半分にあたる地域=吉川村域)の総社である日吉山王宮(ひよしやまおうきゅう)の大宮司職の国井内膳(くにい ないぜん)が、1729年(享保14年)に犬鳴山古実という地誌に犬鳴の事を書いているが、外部との交流を拒み自給自足の生活をしていた事や、江戸時代以前より激しい差別を受けていた事などは記されていない。

江戸時代の地誌・筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふうどき)の著者の貝原益軒(かいばら えきけん)は、1696年(元禄9年)に甥の好古と共に犬鳴を訪れている。

犬鳴の住民の代々の菩提寺(ぼだいじ)は、犬鳴から数km離れた所にある浄土宗と曹洞宗の寺院だったが、両寺院の過去帳にも一般の檀家として記されており、浄土宗寺院の本堂内には犬鳴檀家の祖霊位牌が安置してある御霊屋(みたまや)もある。

 

1854年(安政元年)には福岡藩中老の加藤司書(かとう ししょ)が犬鳴日原鉄山の建設を開始し、1865年(慶応元年)には有事の際の藩主の避難場所に犬鳴御別館を建造させ、福岡藩の要所の一つにしていたため、絶えず多くの人々が出入りしていたが、危険な集落の目撃談や原因不明の死亡者や行方不明者が出たという記述も無いため、そのような集落があった事は考えにくい。

犬鳴日原鉄山にまつわる話の中には、製鉄に従事するたたら職人を石見国から招き、福岡藩御譜代組足軽だった犬鳴村の住民との接触を禁じたが、住居や墓は犬鳴村内に置いていた。

墓は金山と穴蔵口(あなぐらぐち)と言われる2ヶ所にあり、墓の中には1862年(文久2年)と同三年の年号銘(ねんごうめい)や戒名が記されているものもあり、子供の墓もある。

犬鳴村の人達からは旅人墓(ロジン墓)と呼ばれ、その墓に近づくと祟りがあると恐れられていたという。

 

「犬鳴村は実在した?」

犬鳴村の正式名称は犬鳴谷村で、現在の宮若市にある犬鳴ダムの所に実在していた。

しかし、1889年(明治22年)4月1日に町村制度が施行され、周辺の脇田・乙野・小伏・縁山畑の4村と合併し吉川村となり、犬鳴谷村は吉川村の一集落となった。

更に、その後、市町村合併が進められ、1955年(昭和30年)3月1日に吉川村は若宮町と対等合併した。

2006年(平成18年)2月11日には、若宮町と宮田町が合併し「宮若市犬鳴」となり、現在も地名として残っているが、2015年時点での人口は0人となっている。

元々は農林業などを主産業としていたが、産業を取り巻く事情の変化などにより廃れ、集落の中心部は犬鳴ダム建設により湖底に沈んだため、居住者たちは周辺の町に転居した。

 

これは余談だが、犬鳴村伝説を題材としたホラー映画「犬鳴村」が、清水崇監督により制作され、2020年に公開されるようだ。

主演は三吉彩花さんで、石橋蓮司さんや高島礼子さん、高嶋政伸さん、奥菜恵さんも出演している。

興味がある人は観てみてはどうだろう。