【相模原市19人刺殺事件】事件概要と植松聖の犯行前の行動

2016年、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が刃物を持った男に刺殺されるという事件がありました。

この事件は、戦後最悪の大量殺人事件として、日本社会全体に大きな衝撃を与えた事件でした。

殺人罪などの罪で起訴されたのは、津久井やまゆり園の元職員、植松聖(うえまつ さとし)被告(当時28歳)です。

昨年9月から横浜地裁で公判前整理手続きに入っていますが、植松被告は、未だに「彼らは人ではない」と自分の犯行を正当化するような主張を続けているようです。

このような戦後最悪の事件を引き起こした植松被告とは、一体どのような人物だったのでしょうか?

そして、どうしてそこまで障害者を差別し、このような恐ろしい犯行に及んだのでしょうか?

 


【植松聖の生い立ち】

 

「植松聖の顔写真」

植松聖の顔写真
出典:産経ニュース

 

「生い立ち」

1990年1月20日、東京都日野市に一人っ子として生まれた。

1991年、現場となった「津久井やまゆり園」から僅か500mほどの距離の所に移住する。

植松被告は、相模湖町立千木良小学校、相模湖町立北相中学校を卒業し、私立八王子実践高等学校の調理科に進学したが、同級生を殴った事が原因で、その後、神奈川県立津久井高等学校の定時制に転校した。

高校卒業後は、帝京大学文学部教育学科初等教育学専攻に入学する。

そしてなんと大学の教育実習中に、自分に刺青を入れていた事が分かっており、その頃から性格も豹変していったようだ。

この頃の植松被告は、強い人間に憧れを抱くようになり、2010年頃から薬物に手を染め始めるようになった。

2011年5月末から1ヶ月間、教員免許を取るために母校である相模原市立千木良小学校で教育実習を行った。

2012年3月に大学を卒業したが、その頃には、半グレ集団とも交友を持つようになっていた。

この頃から植松被告の家から、夜中に母親とみられる泣き叫ぶ声が聞こえてくるようになったという。

それから半年くらいして、同居に耐えられなくなった両親は、植松被告を残し、八王子市のマンションに引っ越した。

引っ越した理由については、いろいろな説がある。

 

・植松被告の母親が野良猫に餌を与えて近隣とトラブルになったから

・植松被告が刺青を入れた事に両親が怒ったから

・大麻や危険ドラッグを吸うようになったから

 

大学卒業後は、自動販売機の設置業者、運送会社、デリヘルの運転手などと職を転々としていた。

2012年12月1日付けで、津久井やまゆり園に非常勤職員として採用される。

2013年4月1日から、常勤職員として採用されたが、2016年2月に同園を辞めさせられている。

植松被告は、施設に入居している障害者に対して、暴行や暴言を繰り返すなど、度々問題を起こし、施設側から何度も指導されていた。

更にプライベートの行動にも問題が多々あり、刺青も入れていたため、同園を解雇されたと思われる。

逮捕後の取り調べで、施設を辞めさせられて恨んでいたことも分かっている。

そして、2016年7月26日、犯行に及ぶ。

 


【事件概要】

 

事件現場となったのは、相模原市緑区千木良の知的障害者施設、神奈川県立 津久井やまゆり園である。

植松被告は、2016年7月26日午前2時半頃、同園の裏口から敷地内に侵入し、ハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割り、施設内に侵入したとみられる。

職員を結束バンドで縛り、所持していた刃物で次々と犯行に及んでいった。

植松被告は、鉢合わせした職員に「障害者を殺しに来た。邪魔をするな」などと言って、その後入居者に声をかけていき、返事のない眠っている入居者を狙って次々と刺していった。

植松被告は、更に大勢の入居者を襲うつもりだったが、西棟2階を担当していた職員が、異変を察知して部屋に閉じこもり、出てこなかったことから、警察に通報されるのを恐れ、施設から逃走した。

そして当直だった職員の1人が、非番の職員にLINEで連絡を取り、連絡を受けた非番の職員が警察と消防局に通報した。

植松被告は犯行後、津久井警察署に自ら出頭し、「私がやりました」と告げた。

死亡した入居者に対する殺人容疑と建造物侵入容疑で午前4時半に緊急逮捕された。

被害者の人数は死者19人、重傷者の20人を含む負傷者26人の計45人にも及んだ。

植松被告は、取り調べに対し、「ナイフで刺したことに間違いない」と容疑を認めた後に「障害者なんていなくなってしまえ」と発言したという。

 


【植松聖の犯行前の行動】

 

2016年2月頃、植松被告は衆議院議長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森氏に宛てた手紙を職員に手渡している。

犯行予告とも取れるような内容が記されており、「津久井やまゆり園」の他に、同県厚木市内の障害者施設の2施設が標的として指名されていた。

そして具体的な手口の内容も記されていたという。

・職員の少ない夜間に決行

・職員には致命傷を負わせず結束バンドで拘束し、外部との連絡を取れなくする

・2つの園260名を抹殺した後は自首する

更に、

「作戦を実行するに私からは幾つかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせる、心神喪失による無罪、新しい名前(伊黒崇)や本籍、運転免許証など、生活に必要な書類の発行、美容整形による一般社会への擬態、金銭的支援5億円」

このような条件を、国から約束してほしいという内容が記されており、その上で、

「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願い致します」

と綴られていたという。

そして植松被告は、安倍晋三首相宛の手紙を自民党本部にも持参していた。

 

植松被告は2月17日、同級生らに対しても次のような内容のメッセージをLINEで送信している。

「聴いて下さい!!話は障害者の命のあり方です」

「彼らを生かすために莫大な費用がかかっています」

「ご意見をお聞かせ下さい」

その後、同級生に電話をかけ、

「俺だって殺したくないけど、誰かがやらないといけない」

「職員を結束バンドで縛るから取らないように見張ってくれ」

などと話し、犯行に協力するように迫ってきたという。

同級生は、植松被告に計画を止めるよう説得したが、植松被告はその同級生に対して

「じゃあ、お前を殺してからやる」

と言ったという。

 

植松被告は2月18日、同園で勤務中、重度の障害者に対して「安楽死」を容認する発言をした。

そしてその主張を変えなかったことから、同園が津久井警察署に通報し、警察側は「他人を傷つけるおそれがある」と判断し、相模原市長に対して精神保健福祉法23条に基づき通報した。

相模原市は、植松被告の措置診察を行う事にした。そして、精神保健指定医が入院の必要があると診断したため、精神保健福祉法に基づいて、北里大学東病院へ緊急措置入院させることとなった。

入院後、別の精神保健指定医の診察を受けたところ、大麻精神病、非社会性パーソナリティー障害、妄想性障害、薬物性精神病性障害と診断され、植松被告は、正式に措置入院となった。

相模原市は3月2日、医師が他人に危害を加える恐れがなくなったと診断したため、植松被告を退院させた。

 


【ネットの反応】

 

・殺したらダメだけど、私はこういう施設や終末医療施設では働けない。
 働いてる人は凄い。
 また、殆ど障害の子の面倒を見てないのに文句言う身内もどうかと思う。

 

・障害者が家族だと生活に影響が出る?だから名前は明かせない?ん?

 

・>事件後に飾り始めた長女の写真は1枚、また1枚と増え、
 >今では家のどこにいても長女の笑顔に触れられるようになった。

 生きてるときは、出来るだけ目に触れたくなかったってこと?
 あまりに都合よすぎないか?

 

・かわいいけど、世間にバレるのはイヤ。。。なんじゃそれ!?

 

・正直なところ障害者に対する世間の差別はまだあると思う。植松被告の やった事は決して許される事ではない。ただ決して口にはださないし、もちろん行動することもないけど心の奥底で同じように考える人はたくさんいると思う。

 

・施設に預けていた。名前も出せない。やはり違和感を感じる。綺麗事抜きの本音を聞かないとやはり分からない。 

 

 

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