【未解決事件】秋田市で発生した八橋事件と太平八田事件の真相

【八橋事件】

 

八橋事件は、2002年(平成14年)に秋田県秋田市で発生した殺人事件である。

2002年7月22日夜、秋田県秋田市八橋地内で貸金業を営んでいた増山晴雄さん(当時72歳)が、自宅で何者かに刃物で刺され死亡した。

1階にいた妻の良子さん(当時51歳)が、2階から晴雄さんの「ギャー」という悲鳴を聞き、2階に行こうとしたところ、階段の踊り場で犯人と見られる男を目撃した。

そして、良子さんが2階に上がると、腹部を2ヵ所刺され仰向けで血まみれになって死亡している晴雄さんを発見した。

良子さんは「泥棒」と叫びながら隣の家に駆け込み、午後8時50分に隣の家の住民が警察に通報した。

この日、晴雄さんは午前中にかかりつけの病院に行き、昼以降は自宅にいた。

妻の良子さんは午後から1時間ほど買い物に出掛けているが、その間は義理の弟が自宅におり、顧客の出入りがあった事は確認している。

晴雄さんは事件直前、自宅の1階で良子さんとテレビを見たり、独立して東京にいる息子に電話を掛けたりしていた。

そしてその後、晴雄さんが2階の窓を閉めに行くために階段を上がったところで犯人と遭遇し、襲われたと見られている。

司法解剖の結果、晴雄さんの死因は刃物が心臓を貫通した事による失血死だった。

晴雄さんは妻の良子さんと2人暮らしで、30年以上貸金業を営んでおり、最初は秋田市内にビルを構え、個人や中小企業の事業主に貸し付けを行っていたが、10年ほど前から自宅に事務所を移動し、1階のダイニングで商談などを行っており、社長は義理の弟が務めていた。

 

事件当時、自宅の玄関は施錠されていたが、1回の居間と2階の部屋の窓は無施錠だった。

午後5時10分頃、義理の弟が2階に上がった時は異常はなかったという。

自宅には警備会社の警備システムを付けていたが、就寝時以外は作動させていなかった。

警察は、2階の窓から侵入するのは困難なため、1階から侵入したのではないかと見ている。

家の東側にある植え込みの一部から人の足跡が見つかり、南側からも足跡が見つかっている。

2階の東側にあるベランダからは、靴下の跡と靴の跡が見つかっている。

犯人は家に侵入し、2階を物色した後に晴雄さんを殺害したと見られている。

また、玄関まで晴雄さんの血痕が残っている事から、犯人は玄関から逃走したと見られている。

現在も犯人に結び付くような有力な情報は得られておらず、秋田中央署は情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

秋田中央警察署捜査本部

018-835-1111(代表)

警察本部捜査第一課

018-863-1111(代表)

 

「犯人の遺留品」

・犯人が履いていた靴は、兵庫県神戸市須磨区にあるメーカーが、1996年1月から2000年12月にかけて製造していたウォーキングシューズで、全国で5、6万足販売されている。

サイズは24.5cmで、ベロの部分に茶色で「INSISTED」と書かれている。

 

・凶器に使用された刃物は発見されていない。

 

「目撃証言など」

・事件当日の午後8時前、近所の住民が近くの砂利道に停まっていた黒っぽい乗用車を目撃している。

 

・晴雄さん宅付近に停まっていた乗用車が、一時停止を無視して新国道方向に猛スピードで走り去るのを、近所の住民が目撃している。

 

・事件直前に酔っ払いが騒いでいるような大きな声を、近所の主婦が聞いている。

 


【太平八田事件】

 

太平八田事件は、2002年(平成14年)に秋田県秋田市で発生した殺人放火事件である。

2002年12月24日未明、秋田県秋田市太平八田地内にある民家が全焼し、焼け跡からその家に住んでいた伊藤ミヱさん(当時69歳)の遺体が発見された。

伊藤さんの首にはビニールテープ状の紐の一部が付着しており、死因は首を絞められた事による窒息死だった。

何者かが23日から24日未明にかけて伊藤さんを絞殺し、その後家に放火して逃走したと見られている。

未だ犯人に結び付くような有力な情報は得られておらず、秋田東警察署はチラシを配るなどして情報提供を呼び掛けている。

<連絡先>

秋田東警察署捜査本部

018-825-5110(代表)

警察本部捜査第一課

018-863-1111(代表)

 

「秋田東警察署が作成したチラシ」

太平八田事件のチラシ
出典:秋田東警察署

 

 

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