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【石井舞ちゃん行方不明事件】
石井舞ちゃん行方不明事件は、1991年(平成3年)に福島県田村郡で発生した行方不明事件である。
1991年7月24日深夜から25日早朝にかけて、福島県田村郡船引町に住んでいた石井舞ちゃん(当時7歳)が自宅で行方不明になった。
舞ちゃんは24日の午後9時頃、泊まりに来ていた母親ヨシ子さんの友人の娘2人と一緒に川の字になって寝ていた。
そして、25日午前5時20分頃、舞ちゃんと一緒に寝ていた母親の友人の娘が舞ちゃんが居ない事に気付き、行方不明になった事が発覚した。
「24日夜からの家族の行動」
・父親の賢一さん(当時37歳)は建設会社の専務をしていたが、建設業は朝が早いため、晩酌が終わると早々に寝るのが習慣だった。
この日は、午後9時頃に舞ちゃんの弟達と一緒に2階の洋間で寝ていた。
25日午前4時30頃、仕事のために起きた賢一さんは、閉まっていたハズの2階の玄関のカギが開いている事に気付いた。
・午後9時30分頃、祖父(当時73歳)と祖母(当時69歳)は、タクシーで町内のカラオケスナックに出掛けており、この時、玄関のカギは掛けたと証言している。
25日午前2時頃、カラオケスナックから帰宅した祖父母は、Kが居ない事に気付いた。
また、祖父母が帰宅した際、1階の玄関のカギが開いていた。
・舞ちゃんの母親のヨシ子さん(当時27歳)は、午後10時30分頃に舞ちゃん達が寝ている部屋に行き、部屋の机の上の電気を消し、寝ている舞ちゃんのタオルケットを掛け直している。
これが最後の目撃証言となっている。
その後、2階にある洗面所を使用しているが、この時、1階の玄関のドアが閉まる「バタン」という音を聞き、窓から外を見ると住み込みの従業員Kが歩いていたのを目撃した。
しかし、コンビニにでも行ったのだと思い、気にしていなかった。
この住み込みの従業員Kは、賢一さんの姪(当時17歳)の恋人だった。
姪は中学の頃、両親が離婚した事で荒れてしまい、石井さん宅で預かる事になった。
その後、暴走族に出入りするようになり、そこでKと知り合い、石井さんの会社で働くようになった。
・24日、ヨシ子さんの友人の娘2人(当時小学2年と4年)が泊まりに来ており、舞ちゃんと一緒に布団に入っていた。
このヨシ子さんの友人の2人の娘が、犯人と思われる人物と舞ちゃんが失踪直前に話していたのを聞いている。
「住み込み従業員Kの行動」
Kは事件の約半年前から住み込みで働いていた。
24日、Kは恋人の姪と一緒に旅行に行く計画を立てていたが、賢一さんに仕事を入れられたため、旅行をキャンセルするはめになった。
夕方、Kは自分の部屋で舞ちゃん達と一緒にテレビゲームをしていたが、この時、一緒にいた子がKが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていたのを聞いている。
その後、午後9時頃にKの部屋の電気が消えたが、Kが寝ようとしていたかは分かっていない。
午後10時30分頃、Kは友人に会うために自分の車で郡山に行こうとしたが、バッテリーが上がっていたため辺りをぶらつき、その後船引駅に向かったが、最終電車が出てしまっていたため、タクシーで郡山に向かった。
しかし、約束の場所に友人が現れなかったため、デパートのベンチで一夜を明かす事になってしまった。
その後、午前5時20分発の始発に乗り、午前6時30分頃に帰宅している。
Kは日ごろからシンナー遊びをしており、賢一さんに酷く怒られた事があったようだ。
その事を恨んでの犯行ではないかという噂もあるようだが、真相は分からない。
「舞ちゃんの行動」
舞ちゃんは24日の昼間、外でプール遊びをしていた。
夕方からはKの部屋で一緒にテレビゲームをして遊んでいた。
そして、午後9時頃、泊まりに来ていた母親ヨシ子さんの友人の娘2人と一緒に川の字になって寝ていた。
・舞ちゃんの性格
舞ちゃんは夜中に1人でトイレにも行けないほどの怖がりだった。
どこかに出掛ける時は、メモを残す習慣もあったようだ。
そんな舞ちゃんが夜中に突然居なくなるのは不自然で、何者かに強引に連れ出された可能性が高い。
また、舞ちゃんが服を着替えた様子はなく、靴も玄関に残されていた。
「警察の捜査」
福島県警と三春署は捜査本部を設置し、捜査を開始した。
7月26日には舞ちゃんの顔写真も公開した。
事件発生から1ヶ月で延べ3,900人の捜査員を投入し、半径6kmを重点に捜査した。
聞き込み捜査は、一般住民470世帯の2,500人、同業者などは490人、通行車両250台、通行人50人に行われた。
現場からは石井家に住む人物以外の指紋や足跡は発見されず、外部から侵入した形跡もなかった。
警察犬も投入したが、警察犬は1階の玄関先で立ち止まってしまった。
その後、舞ちゃんの両親や祖父母、Kに疑惑が向けられた。
「Kの取り調べ」
犯行時刻とされる24日の深夜から25日の朝にかけ、最も怪しい行動をしていたKが事件の真相を知っているのではないかと疑われ、2週間に渡り拘留され取り調べを受ける事となった。
Kは24日午後10時半頃、自分の車で郡山の友人に会いに行こうとしたが、バッテリーが上がっていたため、タクシーで郡山に向かったと証言しているが、結局友人には会えずKの目撃情報もなかった事で、Kにはアリバイがなかった。
しかし、その後Kを乗せたというタクシー運転手が現れたため、アリバイが証明され、釈放される事となった。
Kは舞ちゃんが失踪した後に「奇跡の扉 TVのチカラ」という日本で発生した未解決事件について、生放送で情報を呼び掛ける番組に出演しているが、この時Kは番組内で「時が来たら真実を話します。」という不可解な発言をしている。
また、釈放後に恋人である姪に対し、「みんなが探しているところに舞ちゃんはいない。」という発言もしている。
しかし、この発言で警察が動く事はなく、発言の真相は分かっていない。
舞ちゃんの父親の賢一さんは、「犯人はK以外に考えられない。」と発言しており、Kが釈放された後もKを強く疑っていたようだ。
タクシー運転手の「事件当日夜にKさんを乗せた」という証言に対しても、「Kにはきっと共犯者がいたんだ。」と語り、Kを疑い続けた。
「目撃情報」
石井さん宅の近所に住む人が、24日午後11時頃に近所で不審な白い車を目撃している。
その白い車はボンネットを開けた状態で停車しており、翌朝には無くなっていたという。
警察は、この白い車が事件に関係していると見て行方を追っていたが、結局見つける事はできなかった。
「時効が成立」
賢一さんは犯人が逮捕されない事で、自分自身で犯人捜しを始めた。
建設会社を畳み、四六時中Kを監視し続けていたようだ。
また、福島県だけでなく首都圏にも足を運び、ビラを配るなどして情報提供を呼び掛けていた。
しかし、Kが犯人である証拠を掴む事ができず、そのうちKの顔を見るのも嫌になり、諦めてしまったようだ。
そして、2006年7月24日に時効が成立してしまった。
舞ちゃんの行方は現在も分かっていないようだ。