都市伝説 三重県編

【売春島】

 

三重県志摩市の伊勢志摩国立公園内にある渡鹿野島(わたかのじま)は、かつて売春島と呼ばれていた。

昔は伊雑宮の神領であったとも言われ、江戸時代には江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えた事もあり、避難・風待をする港としての重要性が高かった。

船乗りなどのための宿や、風待ちの船乗りを相手とした把針兼(はしりがね)と言われた水上売淫婦なども集まり、遊廓街としても大いに栄え、女護ヶ島といった別名を持つ事となった。

 

この島の主な産業(2000年の国税調査時)は、島内外の宿泊業・飲食業で、島の約92%の人が従事している。

海水浴やスペイン村の宿泊地として、家族連れや団体の人たちに利用される他、売春を目的とした男性客が島を訪れる事も多かったが、近年では売春に従事する人は著しく減少しており、高齢化もしているようだ。

志摩市の資料によると、1995~2005年の人口減少率は30%以上で、65歳以上の人が35~40%を占めており、島の過疎化が進んでいる。

現在の島の人口は約270人となっている。

また、廃業したホテルの廃墟もそのまま放置されているようだ。

 

1971年に三重県警の警部補が、内偵特捜の捜査官として渡鹿野島に潜入したが、売春婦と内縁関係になり諭旨免職処分となっている。

この元警部補は、その後、島でスナック経営者兼売春斡旋者となっていたが、1977年10月に行われた手入れで内妻と共に逮捕され、売春婦が保護された。

保護された売春婦の大半は家出少女などで、借金返済のために島に送られ売春をさせられていたという。

2003年頃、この島には至る所に風俗関連(主に売春)の斡旋所があったため、警察や報道関係者に対する警戒心が極めて強く、島全体に入島者に対する情報網が張られていた。

また、うかつに写真を撮る事もできなかったという。

 

渡鹿野島は、2016年5月に行われた伊勢志摩サミットの会場となった賢島の近くにあったため、雑誌媒体などを中心とした複数のメディアが売春産業地という渡鹿野島の現状ルポと同時に、行政体質を指摘し始め話題となった。

だが、この数年前から年に3回も手入れが行われていた事で、売春婦たちは次々と逮捕され、島を出て行く売春婦も多かった。

伊勢志摩サミット開催にあたって、警察が島を訪れ島周辺を調べはしたが、摘発や手入れなどは無かったという。

恐らく、数年前から行われてきた手入れで、売春婦などはほとんど居なくなっていたのだろう。

 

渡鹿野島の航空写真
出典:志摩市ホームページ

 

上の写真のように、渡鹿野島は上から見るとハート型をしているのが分かると思う。

このため島では、恋愛が成就するハートアイランドとして島の認知度を高めようとしている。

また、2015年には、下画像の「わたるくん」と「かのんちゃん」という渡鹿野島公認のゆるキャラも誕生している。

渡鹿野島公認のゆるキャラ「わたるくん」と「かのんちゃん」の画像
出典:渡鹿野島ホームページ

 

 

「渡鹿野島のパワースポットや観光スポット」

・居守大明神

居守大明神の写真
出典:渡鹿野島ホームページ

渡鹿野島のNo.1パワースポットは、居守大明神という歯の神様のようだ。

渡鹿野島のすぐ前に浮かぶ居森島に祀られており、地元では「はくささん」と呼ばれている。

居守大明神が参拝者の歯を治してくれるという言い伝えがあり、毎年多くの歯科医師などが訪れている。

 

・わたかのパールビーチ

わたかのパールビーチの写真
出典:渡鹿野島ホームページ

ここでは夏は海水浴、冬にはビーチ散策が楽しめる。

遠浅で緩やかな浜なので、子供でも楽しめそうだ。

 

・わたかの園地

わたかの園地の写真
出典:渡鹿野島ホームページ

昔、この地に大きな竹竿を見通す事で、江戸と大阪を行き来する樽廻船へ暗礁を知らせていたようだ。

今では絶景スポットとして、ピクニックや散歩に訪れる人が増えている。

天気の良い日には、富士山も見えるようだ。

 

・釣りスポット

渡鹿野島の釣りスポットの写真
出典:渡鹿野島ホームページ

渡鹿野島は、本格的な釣りを楽しみたい人や初心者にも最適の場所のようだ。

最近ではフィッシング女子も増えているようだ。

 

・ギャラリーカモメ

渡鹿野島にあるギャラリーカモメの写真
出典:渡鹿野島ホームページ

2014年11月にオープンした店で、島の魅力などを感じられるようになっている。

島民との交流もでき、ありのままの渡鹿野島を知る事ができる。

また、音楽を聴きながらコーヒーを飲む事もできるようになっている。

 

渡鹿野島は宿泊施設も充実しているようなので、気になった人は一度行ってみてはどうだろう。

 

 


【鬼退治伝説】

 

三重県南東部にある鬼ヶ城の写真
出典:鬼ヶ城センター

 

三重県南東部にある鬼ヶ城(おにがじょう)は、伊勢志摩から始まるリアス式海岸の南端に位置し、熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2kmも続く凝灰岩の大岸壁だ。

その昔、平安時代の桓武天皇の頃、この地に隠れて熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた多娥丸(たがまる)という海賊がおり、将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、天皇にこの多娥丸の征伐を命じられた。

すると、近くの烏帽子山に大馬権現の化身の天女が現れ、鬼の隠れ家(現在の鬼ヶ城)の場所を教えてくれたが、その場所は断崖絶壁で磯は波が激しく、とても近寄れる所ではなかった。

 

そんな時、沖の魔見ケ島に童子が現れ、舞い唄い、軍勢も加わり大騒ぎした。

鬼神が油断して岩戸を開く一瞬の間に将軍が矢を放ち、見事一矢で鬼を仕留めた。

すると、童子が光を放ちながら北の峰に飛び去って行ったため後を追って行くと、紫雲たなびき芳香に満ちた洞窟(清滝の上流)があり、そこに「守仏の千手観音を納め安置した。」という伝説が残っている。

そして、鬼を退治した坂上田村麻呂の軍が、勝利を称え音楽を奏でながら行進した事から、松本峠の下にある橋は「笛吹橋(ふえふきばし)」と呼ばれている。

また、討ち取った鬼の首は、熊野市井戸町にある大馬神社に埋められたとされている。

 

鬼ヶ城は、この鬼退治の伝説に基づき「鬼の岩屋」と呼ばれていたが、後に鬼ヶ城と呼ばれるようになった。

1927年(昭和2年)に日本を代表する100の景勝地「日本百景」に選ばれ、1935年(昭和10年)には国の天然記念物に指定され、2004年(平成16年)にはユネスコの世界遺産にも登録された。

坂上田村麻呂が建立したとされる大馬神社では、毎年1月6日の祭礼の日に、1年の平安を祈る「弓引き神事」が行われている。

 

 

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